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about

ラッセル・グドールについて

ビートルズが初来日した年の2月にニュージーランドで生まれ、その6月には宣教師である両親とともに日本の土を踏んでいた。「アメリカ英語を話すようになるのはいやだ」と両親がいったかどうかはしらないが、いずれにしろインターナショナル・スクールにはいかず、小・中・高校を北海道の普通の日本の学校に通い、「科学忍者隊ガッチャマン」や「ハクション大魔王」などをみて育つ。11歳の時に映画Star Warsを観て衝撃をうけ、その後の人生に大きな影響があった。

親とは英語、兄弟や友達とは日本語という変わった言語生活を体験。大学は「授業料がめちゃくちゃ安い」という理由だけで母国ニュージーランドの大学へと進学するが、ここで本格的に英語のむずかしさを知り、「めずらしく勉強をした」と言っているが事実はさだかではない。どうやらミュージックビデオをつくって遊んでいたらしい…。

卒業後は「夢をもって」東京に舞い戻り、テレビ制作の世界へのめり込んでいく。80年代終わりから90年代頭まで深夜の情報番組などのディレクターで活躍した。外国人アーティストやアクターをインタビューし、日本語のテレビ番組用に編集をする、という事もバイリンガルのディレクターとしてこなした。そんな中、俗世間についていろいろと学んでいくが、仕事に追われ最終電車にゆられる毎日に「俺は何やってんの?もっと人間的な生活がしたい」との思いから、やがて環境の変化を選択し、結婚して母国ニュージーランドへ。「英語が話せないで困ってる日本人」に救いの手を!という思い?で翻訳・通訳・ビデオ制作・日本語ナレーターなどで生計を立てる。翻訳・通訳としては、2001年までにビジネス・行政・法律の翻訳や、日本人教会内での説教の定期的な通訳、ニュージーランド首相や森元首相の通訳など様々なエリアを経験する。

ニュージーランドでは1999年に世界初の「男はつらいよ」の英語劇がオークランドで上演され、ラッセルは制作全般に関わった他に、なんと主役の寅さん役を演じた。この舞台劇は「男はつらいよ」の映画第1作を舞台化したもので、台詞は90%以上が英語、但し寅さんの啖呵売や口上などは日本語というもので、ラッセルのバイリンガルの才能とキャラクターに目をつけた演出家がラッセルを起用した。山田洋二監督の激励もうけた、ユニークなものとなり、地元ニュージーランドのメディアでもとりあげられた。自身も日本人と結婚したラッセルは、国際カップルの友人が多い。ニュージーランドにいるころからこうした友人の結婚式で英語・日本語両方でMCをおこない、そんなところでも才能を発揮。

2001年12月に中野サンプラザで行われた第2回ゴスペルクワイヤーフェスティバルでは司会を努め、主催者兼ゲストであるゴスペルシンガー小坂忠の友人でありクリスチャンでもあるラッセルはこのゴスペルの祭典に喜んで手助けをした。現在、日英バイリンガルな教会ニューホープ東京に通っており、ここでも神と親から恵まれた言語の才能と持ち前のユーモアのセンスを活かして牧師の通訳などをしている。

2005年5月、シブヤテレビジョン退社後、フリーとなり、通訳/翻訳/ナレーターを中心に活動中。日本人の妻と二人の息子と共に、現在横浜市に在住。